先に全体像を学ぶという方法
他の媒体で私の事を知っている方はもうご存知でしょうが、私はいくつかの将棋教室で講師をしたり、他の方が開催する将棋教室の手伝いをしたりしています。
その中で、ちょっと前に教室で起きた出来事が私の考えを変えるきっかけになったので、それについて話したいと思います。
主に初級者の子が来るその教室では、私は戦法、定跡(囲碁等の定石と同じ)を教えるよりも先に手筋(部分的なテクニックのようなもの)を教えていました。
大体どの入門書を見ても、駒の動かし方や詰みの概念等を勉強した後は、手筋の学習に移行し、最後の方には戦法や玉の囲いが書かれているので、私はそれに準拠したのです。
ところが、ある日私が「金底の歩」の手筋を題材にしたプリントを生徒に解かせたところ、ある子どもはむやみやたらにその手筋を使おうとする悪癖がついてしまいました。(やたらに二歩を打つ癖もついてしまった)
「金底の歩」は正しく使えば強力ですが、いついかなる時もそれを使うのが良い訳ではありません。
しかし、その子は「金底の歩」くらいしか知らなかったので、そればかり指していたのでしょう。
結局私が感じたのは、その手筋の正しい使い方を教えなかったのも問題だが、手筋より先に戦法や、一局の大まかな流れを教えなかったのがまずかった、という事です。
それを教えないで、部分的なテクニックだけ先に教えても、そもそもそのテクニックが使える局面にならないので意味があまりない事に気が付きました。
それから私は、なるべく早いうちに(もちろん最低限のルールは理解してから)戦法を教える事にしました。
その際私はあえて手を緩めたり、相手にアドバイスを加えたりしながら、きっちり私の玉を詰ますところまでやらせる事もあります。
そうする事で将棋とはどのようなものか、なんとなくわかってもらえると考えています。
振り返ってみると、世の中将棋に限らず何事でも、全体を学ぶよりも先に部分的なテクニックを学ぶ傾向があるように思います。
野球なら素振り、柔道なら受け身の練習等がそれに該当するでしょうか。
しかし私はこの一件があってからは、まずは全体を学んでその面白さをなんとなくでも理解し、その後で細かい部分を学んでいくやり方がもっと普及したら良いなぁ、と思うようになりました。