先に全体像を学ぶという方法
他の媒体で私の事を知っている方はもうご存知でしょうが、私はいくつかの将棋教室で講師をしたり、他の方が開催する将棋教室の手伝いをしたりしています。
その中で、ちょっと前に教室で起きた出来事が私の考えを変えるきっかけになったので、それについて話したいと思います。
主に初級者の子が来るその教室では、私は戦法、定跡(囲碁等の定石と同じ)を教えるよりも先に手筋(部分的なテクニックのようなもの)を教えていました。
大体どの入門書を見ても、駒の動かし方や詰みの概念等を勉強した後は、手筋の学習に移行し、最後の方には戦法や玉の囲いが書かれているので、私はそれに準拠したのです。
ところが、ある日私が「金底の歩」の手筋を題材にしたプリントを生徒に解かせたところ、ある子どもはむやみやたらにその手筋を使おうとする悪癖がついてしまいました。(やたらに二歩を打つ癖もついてしまった)
「金底の歩」は正しく使えば強力ですが、いついかなる時もそれを使うのが良い訳ではありません。
しかし、その子は「金底の歩」くらいしか知らなかったので、そればかり指していたのでしょう。
結局私が感じたのは、その手筋の正しい使い方を教えなかったのも問題だが、手筋より先に戦法や、一局の大まかな流れを教えなかったのがまずかった、という事です。
それを教えないで、部分的なテクニックだけ先に教えても、そもそもそのテクニックが使える局面にならないので意味があまりない事に気が付きました。
それから私は、なるべく早いうちに(もちろん最低限のルールは理解してから)戦法を教える事にしました。
その際私はあえて手を緩めたり、相手にアドバイスを加えたりしながら、きっちり私の玉を詰ますところまでやらせる事もあります。
そうする事で将棋とはどのようなものか、なんとなくわかってもらえると考えています。
振り返ってみると、世の中将棋に限らず何事でも、全体を学ぶよりも先に部分的なテクニックを学ぶ傾向があるように思います。
野球なら素振り、柔道なら受け身の練習等がそれに該当するでしょうか。
しかし私はこの一件があってからは、まずは全体を学んでその面白さをなんとなくでも理解し、その後で細かい部分を学んでいくやり方がもっと普及したら良いなぁ、と思うようになりました。
逗子海岸の近くで素敵なランチ
昨日は天気が良く、暖かかったので、どこか出かけたくなりました。
それで何となく逗子に行ってみました。
逗子の海は明るく綺麗で、多くのサーファー達でにぎわっていましたよ。
ただ、逗子は良いところなんですが、鎌倉のように有名な観光名所がたくさんあるという訳ではなく(私が知らないだけで、実際あるのかも知れないが…)釣りやサーフィンもしない(というより出来ない)ので、必然的に食事をする事になりました。
今回選択したのは「なぎさ橋珈琲」というお店で、逗子海岸の近くの大変景色の良いお店です。
私がまず頼んだのは定番メニューっぽい、なぎさ橋バーガーのサラダセット(1380円)で、飲み物もここの名物っぽい、水出しブレンドというコーヒーにしてみました。
↑バーガーとポテトは私の大好物です。
↑ボリュームたっぷりのハンバーガーはもちろん良かったのですが、この水出しブレンドが本当に飲みやすくて気に入ってしまいました。ミルクや砂糖がなくても問題なくどんどん飲む事ができました。
それで、あまりに気に入ったので、もう一杯頂きました。
その後、まだちょっと何か物足りないような気がしたので水出しコーヒーゼリーフロート(550円)↓↓を追加しました。
ソフトクリームも、コーヒーゼリーも私の好物で、とても良かったのですが、途中で突然満腹感がきて、最後はちょっときつかったです。
なかなか自分にとってちょうど良い食事量というのはわからないのですが、少しずつ食べられる量が減ってきているような気はします。
美味しいものだけたくさん食べられる都合の良い胃腸があればいいのですが…
ともかく、他にも紅茶やパスタ、オムライスやパンケーキ類等多様なメニューがあり、窓から見える景色も素敵な所なので、機会があれば一度行ってみてはいかがでしょうか。
好きだった本との再会
つい何日か前にクローゼットの中から、私が昔好きだった本が出てきました。
嬉しかったので、昨日に引き続き、簡単な書籍レビューをします。
その本は「タルタル10」です↓
この本には、全10種の短いストーリーが独特な絵とともに載っています。
どの話にも「タルタル」という存在が出て来るのが特徴で、タルタルは人だったり、動物だったり、店の名前だったり、話によって様々に違います。
子どもの頃の私には、この本から他の絵本等にはない、奥深さや、ある種の不気味さのようなものを感じていました。
そしてその魅力に取りつかれて、繰り返し繰り返し読んでいました。
今改めて読んでみると、昔と違ってあっという間に読み終わってしまいましたが、不思議な魅力を持った本であるという認識に変わりはありません。
昨今は、子どもにスマホやタブレットを与えて動画を見せたり、アプリをさせたりする親が多いと聞きます。
私は、世の中がそのように変わっていったのには然るべき理由があっての事だと思うので、スマホを用いた現代式教育(?)を全否定するつもりはありません。
ただ、間違いなく良質な本は子どもの感性を豊かにするので、子どもに本を読ませたいが最近の本はちょっと…みたいな方にはおすすめです。
もちろん、子どもだけでなく、大人が読んでも得るものはあると思いますよ。
それだけに新品が手に入らないのは残念ですが…
三浦さんの新刊と、野球観戦の時の話
先日、京急百貨店内の八重洲ブックセンター内で行われた、三浦大輔さんの新刊「踏み出せば何かが変わる」のサイン本手渡し&握手会に参加しました。
目当てはもちろんサインと握手であって、本はそこまで欲しかった訳ではないのですが、折角なので読んでみました。(ちなみに普段の私は漫画と実用書の類以外の本はほとんど読みません。更に実を言うと熱心な野球ファンでもないのでその点ご了承下さい)
そこで、本を読んで感じた私なりの感想や解釈を簡潔にまとめると共に、私のベイスターズに関する思い出話をちょっとしようかと思います。
本の中で三浦さんは「豪速球も鋭い変化球もない自分でもプロの世界でやっていく事が出来た」「努力や練習は嫌いだが、負ける悔しさの方が大きいし嫌だ」というような主旨の話をされていました。
前者はつまり、アプローチの仕方、やり方次第で目標は達成できる、ライバルとの差を埋める事が出来る、という事だと解釈しました。
例えば三浦さんの場合は、豪速球や必殺の決め球がない代わりに、コントロールや怪我に強い体、豊富なスタミナ、ベテランになっても衰えない向上心という武器がありました。
それで結果的に斉藤和己さんや川上憲伸さんらの最多勝や沢村賞経験者より長く野球を続ける事が出来ました。
努力の仕方次第でなんとかなる、という事自体はありきたりな考えかも知れませんが、実際にそれを実行して成功を収めた人の言葉にはリアリティーと重みがありますね。
後者の言葉については、もう「すごいわかる、激しく同意‼」って感じですね。
私も努力が大嫌いで、出来れば一生楽して遊んで暮らしたい、と思っています。
でも、それでは手に入らない、どうしても欲しいものがあって、自分なりの努力(と言えるかも怪しいが…)をしています。
勝負事においても練習や準備は嫌いですが、負ける事の方がずっと嫌だと思っていますし、努力した者にしか見えない世界があるのを私も少しだけ知っています。
この本には特別目新しい事や目から鱗の新感覚とかそんなものはありません。
しかし、当たり前の事を愚直に続けて実際に結果を出した人の言葉は、どんな新しい考えや名言風の言葉より価値があるのではないか、と思いました。
購入して読むのが一番だとは思いますが、レンタルや立ち読みでも良いので皆様も一読されてはいかがでしょうか。
番外編 ベイスターズの試合観戦の思い出
上記の本の中で、中畑さんが監督に就任した2012年以降チームは変わり始めた、というような一文がありました。私も本当にそう思います。
更にここ数年は、即戦力級の新人選手が続々と入団し、急激にレベルアップしたように感じます。
そんな新人選手に関する話を少しします。
私が以前に横浜スタジアムで試合を観ていた時に、当時新人だった山崎康晃投手が登板しましたが、その試合は少し打たれてしまいました。
その時近くにいた野球場に居がちなおじさんは「山崎なんて駄目だな」みたいな事を言っていました。
私は「山崎投手は良い投手ですよ、一回見ただけでそんな事言わないで下さい」と言ってやりたかったです。
私は山崎投手の大学時代のピッチング映像を見ていたので、良い投手だというのはある程度わかっていました。
今では、山崎投手にそんな事を言う人はまずいないですよね。
一回きりで判断しない、長い目で見るという事は当たり前のようで、難しい事なのかも知れませんね。
では、長くなったのでここでおしまいです。